先日、『夏の翼』が完成しました。そして今日、いよいよ発表です。
書き始めから十二年、ついに完成の日を迎えて、多くのものに感謝したい気持ちでいます。
物語に登場してくる旅人のモデルになってくれた人物たち、主要登場人物たちが出会った風景や人物、彼らが歌っている歌、
読んでいた書物、乗っているオートバイやカヤックや車、使用している旅の道具など…、この世界を形作っているもの。
僕に直接間接に影響を与え、この物語を書かせることになった出会いと巡り逢いに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
この物語を書き始めた当初、僕は数ヵ月で完成させるつもりでいました。
文章量も原稿用紙400枚程度の、普通の長編小説なみにしようと思っていました。
ところが書き始めて少し経ったところで、この話はとてもそんな文章量で収まるものではないと気づいたのです。
そしてその中に描こうとした壮大なテーマも、現在の自分の文章力では到底描ききれないと感じたのでした。
それでもこの物語を書き上げることは、僕の人生の大きな目標になりました。
いつか書き上げる。全く妥協のない完璧な物語を完成させてみせる。
あまりに完璧を求めすぎたために、全く書き進められなかったときもあるほどです。
実際、十二年間ずっと書き続けていたわけではありません。途中には『あなたのいる彼方へ』を書いて、
これも完成までにはかなりの年月が掛かっています。すでに一度は書き上げていた『落ちこぼれ防大生』と『蒼き風に抱かれて』も
推敲しなおして、そのときの自分が納得のできる作品にして発表しました。
けれど僕が真に一つ、何を差し置いても完成させたかったのは『夏の翼』でした。
目標を超えて、『夏の翼』は僕の人生そのものになっていたのです。
僕は作者ではあるけれど、逆に『夏の翼』が現在の僕を作ったと言うこともできる。
まあ言うのはちょっと恥ずかしいですが、この物語の作者にふさわしい人間になろうと努力したということです。
理想はまだ遙かに遠い山の彼方ですが。
この物語は、本当に一人でも多くの人に読んでもらいたいと思っています。
2008年 12月 16日 井上勝夫
発表の日からおよそ六年が経ち、その間、僕は何度かこの小説を読み直しています。
長い長い物語なので、日常生活の中ではなかなか読めず、長旅の雨の日などに、テントの中で読むのが常でした。
北海道の大地の上で、アイスランドの寒さに震える白夜の下で、奄美群島のうだる暑さの中で…。
六年前に発表した時には完璧だと思っていた文章も、その後で読むと完璧ではなく、
読み返す度に、気になった部分を修正したり、必要と感じた部分を書き足してきました。
そうしておそらく一生僕はこの作品に手を入れ続けていくのだろうと思っていましたが、昨年あたりから、
自分の感性の変化を感じ始めてしまいました。――いつまでも、この物語の主人公たちの年代の感性ではいられない。
それは読者の年齢層を限定するという意味では全くなく、あくまでも書き手側の問題です。
全く余談ですが、八十歳を過ぎた僕の父親がこの小説を読んだとき、大泣きしたそうです。
「自分の親の葬式でも泣かなかった人が、あんなに泣いてる姿を見るなんて、なんか異様な気持ちがしたよ」
姉が後で教えてくれたことです。僕は両親と離れて暮らしていますが、近所に嫁いだ姉はしょっちゅう実家を訪ねていますから。
もう一つ、文章力の変化もあります。自分で書いた文章を読みながら、「上手いなあ、よくこんな表現できたな」と
感心すると同時に、「今じゃこんなふうには書けない」と思う部分がいくつかあって、それは単純に文章力が低下したという
意味ではないけれど、なんとなく、自分が小説を書く時期はもう過ぎたのだと感じるところが出てきました。
そういえば先日テレビで宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見たのですが、その中で、「創造的人生の持ち時間は十年だ」
という言葉が出てきて、とても納得しました。多少の長短はあるにしろ、どんな人間も最高の創造性を発揮できるのは、
それくらいの時間だと思うのです。
僕の場合は、物語を作る創造力と文章を書く表現力との期間にずれがありましたから、この物語の本当の完成には
十八年掛かってしまいましたけれど。
今回この物語を完全完成させたことで、自分の人生に一つの大きな節目ができました。
書くことを決意してから今日まで、本当に一日として忘れたことがないこの『夏の翼』が納得できる形になり、
これでもういつ死んでも悔いはないと思っています。六年前に発表した時に感じた興奮はなく、今はとても静かな気持ちです。
もともと日本一周の旅に出た時からは、好きなようにしか生きてこなかった人生ですが、死ぬときに後悔するのはただ一つ、
この『夏の翼』を完全に納得できる状態にできなかったことでした。でもその心配ももうなくなりました。
これは間違いなく自分の人生最大の仕事、僕が生まれてきた意味そのものです。
欲を言えば電子書籍ではなく、きちんと単行本にして、日本のみならず世界中の人たちに読んでもらいたいのですけどね。
2015年 3月 9日 井上勝夫