トロねえ物語。第一話

プロローグ 

 

おいらに仕事を命令してくるN嬢が、いつも以上にカン高い声で電話してきた。 

「井上さんさぁ~。これから兵庫の明石市まで行ってくれない?」 

仕事はいつも突然だ。行き先もバラバラ。時間だって決まっていない。 

いまさら言うまでもないくらいだが、おいらの住んでいるのは信州。 

これまでの仕事では、せいぜい新潟とか栃木くらいまでの距離しかOKを出したことがない。 

名古屋を越えて大阪なんてありえないし、ましてそれより遠い兵庫など引き受けるわけがない。 

だがこのときのおいらは何を間違ったのか、「いいよ」と返事をしてしまった。 

2009年12月17日木曜日の午前11時46分。 

これが今回の運命的な出会いと物語の始まりだった。 

 

トロねえのイメージ。

電話からの低い声 

 

《神戸方面に行くなら、大阪に寄らなくちゃ》 

これがおいらの最初の思考だった。大阪には、トロねえが住んでいる。 

なぜかブログで出会ってすぐにお互いを「」「」と呼び合った仲で、いつかは会わなければならぬと思っていたのだ。 

集荷を完了させ、高速道路を走ること数時間。三重県伊吹のパーキングエリアに車を止める。 

まずふーすけに電話を掛けて、トロねえと仲のよいシャインさんの携帯番号を訊く。 

姉弟と言いながら、お互いの携帯を知らないのだ。 

「もしもし、シャインさんですか? カツオです」 

平日の午後四時。会社で働いているはずの相手に、遠慮なく、しかもいきなり初めて電話を掛ける。 

「えっ。カツオさん? はい、シャインです」 

美しい声…。思わずれてしまいそうになる。行き先が東京でないのが恨めしい。 

「トロちゃんの番号は、090トロトロペロペロトロンペロンよ、うふふ」 

教えてもらった番号に電話を掛ける。 

出た相手に「もしもしトロねえ?」と尋ねると、シャインさんとはまるで違う低い声が戻ってきた。 

「はい…。誰? もしもしぃ? 誰やねん!?」 

怖い。が、なぜか懐かしい感じのする声。 

「カツオだよ」と言うと、いきなり怒涛のようなワメキ声が鼓膜を襲った。 

「ウソ! カツオか! 誰や思ったわ! 声めっちゃ若いな! なんやねん、いきなりやからびっくりしたわ!」 

これから兵庫に行くから帰りに会いに行こうと思う、と伝える。 

するとトロねえはますます興奮し、聞き取るのも辛いほどの早口でマクシタテ続けてきた。 

しかしその声、大山のぶ代にそっくりだ。 

それを指摘すると「僕ドラえもん」と声色を変えたが、そんなことをしなくても充分似ていることは間違いない。 

「そんじゃ、晩は何が食べたい? ギョーザがエエか? よっしゃ! ウチに泊めていいかダンナに訊いとくわ!」 

その後も高速を走り続けて、大阪を通過しても、神戸まで来ても返事がない。 

荷物を無事に明石の企業に届け終わり、もう一度トロねえに電話を掛けてみた。 

「それがな、ダンナからの返事がないねん。今日はダメかもしれん」 

テンションが低い。どうやら今晩おいらを泊めていいのかを、メールで尋ねているらしい。 

「電話で訊けば?」と言ってみたが、仕事中に掛けると叱られると言う。 

「じゃあおいら、このまま帰るわ」 

今から家に帰ると高速を使っても真夜中だが、それは仕方ない。 

陰気な牛丼屋で夕食を済ませ、再び高速に乗って信州を目指した。 

 

神戸タワーの夜景。

三十年間生き別れだった姉と弟… 

 

大阪市内まで数十キロのところで、なぜかふと携帯が気になった。 

確認すると着信がある。トロねえからだ。 

「電話した?」と掛けなおすと、走行中だと悪いからすぐ切ったとの応え。 

意外と電話を掛けることに対してシャイらしい。 

「なあ、三十分だけでも会えへん? 高速途中で降りたらカツオ損? 大阪までチャッと来て、顔見せてくれたらええねん。 

このまま会えへんなんて悔しいやん。夜はネカフェで寝るってのはどうや? 

なんせ三十年間生き別れだった姉と弟やろ? 会いたいやんなあ。なんせ生カツオやし~」 

アラフォーの二人が、なぜ「三十年間」なのかは分からない。 

じゃあ十歳まで一緒に暮らしてたんかとツッコミを入れたかったが、進路を大阪市内に修正した。